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金沢地方裁判所 平成4年(行ウ)6号 決定

主文

本件訴訟を東京地方裁判所に移送する。

理由

一  本件処分に至る経緯

原告は平成二年三月六日、金沢南社会保険事務所(以下「南社会保険事務所」という。)を訪れたところ、同所の窓口業務の担当者によって原告の国民年金法による障害基礎年金と厚生年金保険法(昭和六〇年改正法による改正前のもの)による通算老齢年金(以下「厚生通老」という。)の併給状態が発見され、同担当者の指導のもとに、右併給状態を理由とする併給停止届書(以下「本件届書」という。)等を同社会保険事務所へ提出した。そして、本件届書は、同日付けで同社会保険事務所の受付印が押された後、同事務所から金沢市長へ、さらに金沢市長から石川県知事(その事務取扱いは、金沢北社会保険事務所(以下「北社会保険事務所」という。)とされている。)へ進達され、更に被告に進達されて、被告により、平成二年六月一五日付けで原告の障害基礎年金を昭和六一年四月分に遡って一部支給停止する旨の処分(以下「本件処分」という。)が行われた。(以上の事実は、本件記録上明らかである。)

二  1 被告の本案前の申立て等

(一)  被告は、本案前の申立てとして、本件被告の所在地は東京都であるから、行政事件訴訟法一二条一項の規定により、本件訴訟は東京地方裁判所の管轄に属するものであり、金沢地方裁判所には管轄がないと主張して、主文同旨の裁判を求めた。

(二)  これに対し、原告は、本件訴訟の管轄は、行政事件訴訟法一二条三項の規定により、金沢地方裁判所に存するとして、本件申立てを却下する旨の裁判を求め、右規定による管轄が金沢地方裁判所に存する理由として、後記のとおり主張した。

2 行政事件訴訟法一二条三項の規定による管轄の有無に関する当事者双方の主張

(一)  原告の主張

(1)  行政事件訴訟法一二条三項が設けられた趣旨は、全国の各地に居住している国民の裁判を受ける権利(憲法三二条)を実質的に保障することと、当該訴訟に関する証拠の存する蓋然性の高い下級行政機関の所在地にも管轄を認めることによって、訴訟の促進及び訴訟経済をはかることにあるから、同項の「事案の処理に当たった」とは、広く、国民との関係で窓口となって上級行政庁の処分手続に関与したことで足りると解すべきである。

本件では、金沢南社会保険事務所において、原告の障害基礎年金と厚生通老の併給状態が発見され、本件届書等が作成されることから始まり、金沢市長、石川県知事を経て、本件処分に至ったのであるから、これらの機関は、行政事件訴訟法一二条三項の「事案の処理に当たった下級行政機関」に該当する。

(2)  仮に右の「事案の処理に当たった」というためには下級行政機関が実質的に処分の成立に関与することが必要であるとしても、本件処分のように被告が判断する事項が障害基礎年金の支給停止開始年月日と支給停止の程度のみに限られ、裁量の余地がない覇束的行政処分の場合には、その処分成立の要件となる諸事実を揃えることないしは処分の成立を前提として関連する処分を促す措置をとることをもって、処分の成立に実質的に関与したものと解すべきである。

本件においては、南社会保険事務所の窓口担当者は、原告に本件届書等を作成・提出させたほか(右届書の提出が本件処分に至るにつき最も重要な行為である。)、これと合わせて、本件処分が成立することを前提として、原告に内払調整額変更申出書を提出させ、また、金沢市長においては、本件届書記載事項とその裏付けとなる書類等の突き合わせを行い、さらに、石川県知事(北社会保険事務所)においても、本件処分につき原告の併給期間と金額については調査したものであり、これらの機関はいずれも本件処分成立の要件となる諸事実を揃えることに当たり、処分の成立に実質的に関与したものというべきである。

(3)  また、金沢市長、南社会保険事務所及び石川県知事は、次の点からしても、処分の成立に実質的に関与したというべきである。

ア 金沢市長について

国民年金法施行令(以下「施行令」という。)二条六号によれば、市町村長は併給停止届書の受理及び届出に係る事実の審査を行う旨規定されているところ、右「審査」とは、市町村長において処分成立に必要な事項が揃っているか否かの点についての判断が求められているものと解されるのであって、それゆえ、その審査が不十分な場合には、国民年金市町村事務取扱準則(以下「準則」という。)二六条の規定によって、市町村長は再び処分成立に必要な事項を取り揃えることが義務付けられているし、同二七条の規定によって、市町村長は、届書の記載に不備がないことを点検するだけではなく、不備があるときには届書を提出者に返送したり、所定の書類が提出されないときはその旨の理由書を提出させるものとされている。したがって、金沢市長は、本件届書の単なる経由機関ではなく、実質的に事案の処理に当たる機関とされているものである。

イ 南社会保険事務所について

国民年金に関する届書の受理及び届書に係る事実の審査は、市町村長から委任を受けた社会保険事務所が行っており、本件においても、原告がたまたま転居に伴う住居変更のため南社会保険事務所に出向いたところ、その場のやりとりの中で、同事務所の窓口担当者が、年金の受給要件を調査、検討した結果、年金の併給状態及び過払いの事実を発見し、これを根拠に、同担当者において、一つの年金の支給は停止し、内払調整をするために、それらのための届出及び石川県知事への福祉年金支給停止関係届を原告に提出させるべきものと判断し、原告に対し、右各届書等への署名押印とそれらの提出を強要したものである。本件処分は、右のような経過で提出された本件届書の処理を通じて行われたものであり、これによれば、南社会保険事務所の窓口担当者は、独自の判断に基づいて、本件届書等の提出を原告に求めたのであり、この提出を求める行為は、事実を確認してこれに法を適用し判断するという内容であるとともに、本件処分に不可欠の前提であって、被告が本件処分を行うにつき決定的に重要な行為であるから、南社会保険事務所は単なる経由機関ではなく、実質的に事実の処理に当たった下級行政機関である。

ウ 石川県知事(北社会保険事務所)について

準則三一条、二六条の規定によれば、都道府県知事は市町村長から進達された届書について著しい不備があると判断したときは「返戻」という事務処理を行うのであり、右規定によれば、石川県知事も必要に応じて実質的な事案の処理を行うものというべきである。また、本件につき、社会保険業務センターは本件処分を行うに当たり併給期間や併給金額を確認する必要があるところ、同センターはこれらの調査・確認を行うことができず、石川県知事のみが行い得たのである。これらの事実によれば、石川県知事は、実質的に事案の処理に当たった下級行政機関に該当する。

(二)  被告の反論

行政事件訴訟法一二条三項の「事案の処理に当たった」とは、調査の嘱託等を受けて資料の一部を収集したり、単に国民との関係で窓口となって上級行政庁の処分手続に関与しただけでは足りず、事案の調査を行い、上級行政庁が処分をするに際して、事案の調査に基づいて意見を具申するなど、実質的に処分の成立に関与することを意味すると解すべきである。

本件処分について、南社会保険事務所、金沢市長及び北社会保険事務所は、いずれも本件届書につき記載漏れの点検など形式的処理を行ったにすぎないのであり、事案の調査を行い、処分の基礎となる資料を積極的に収集し、調査に基づいて意見を具申するなど被告の行った処分に重要な影響を与えるようなことは行っていないから、行政事件訴訟法一二条三項所定の「事案の処理に当たった下級行政機関」には該当しない。

すなわち、金沢市長は、併給停止届書に基づく障害基礎年金支給停止処分については、届書の経由機関であって、単に本件届書の記載漏れの点検など形式的処理を行ったにすぎず、南社会保険事務所も、本来金沢市長に提出されるべき本件届書が同事務所に提出されたため、行政サービスの一環として本件届書を預かって、これを金沢市長へ回送したにすぎない。また、石川県知事(金沢市における併給停止届書等の事務取扱の管轄は、厚生省の社会保険事務所の名称、位置、所管区域及び事務取扱の範囲に係る通達一項三号イにより、北社会保険事務所とされている。)は、金沢市長から届書を進達された際、届書の必要記載事項の記載の有無の点検確認を行っているが、これは不備な届書を被告に進達することを避けるための形式的な事務というべきである(国民年金法七条一項一号又は三号に該当する被保険者の障害基礎年金に係る併給停止届書については、都道府県知事が受理及びその届出に係る事実について審査を行うべきものから除外されている(施行令一条五号かっこ書)。

三  当裁判所の判断

1  本件処分は、被告が、国民年金法三六条の二第一項第一号の規定に基づいて行った処分であるが、右処分に至るまでの手続の概要は次のとおりである。

すなわち、国民年金の受給権者は、支給停止事由に該当するに至った場合には、併給停止届書を被告に提出しなければならない(国民年金法規則(以下「規則」という。)三四条の二)ところ、被告に提出すべき各種届書等は、受給権者の住居地の都道府県知事又は市町村長に提出することとされている(施行令一条ないし三条、規則二七条)。そして、併給停止届書の受理及びその届出に係る事実についての審査に関する事務は、市町村長に行わせることとされており(国民年金法一〇五条三項、施行令二条六号)、市町村長は、届書を受理したときは、必要な審査を行ったうえ、これを都道府県知事に進達しなければならない(規則六四条一項)。なお、国民年金法七条一項一号に規定する一号被保険者又は同条項三号に規定する三号被保険者である間に初診日のある疾病による障害に係る障害基礎年金(国民年金法三一条一項の規定によるものを除く。)の併給停止届書については、都道府県知事が受理及びその届出に係る事実について審査を行うべきものから除外されている(施行令一条五号かっこ書)。

2  ところで、行政処分については、法令上は上級機関においてその処分がなされるような形になっていても、実際にはその下級機関において実質的判断がなされるということはまれではない。行政事件訴訟法一二条三項は、右のような場合には、実質的判断を行う下級行政機関の所在地に管轄を認めても資料収集の便宜や円滑な審理の実現という点から行政庁としての対応に困ることはなく、他方、国民の側においてもその方が便利であることに鑑みて設けられた規定であると解される。したがって、同項の「事案の処理に当たった」というためには、当該行政機関がその行政処分について実質的な判断を行ったものであることが必要であり、単にいわゆる経由機関として申請書等の書類を受理して形式的な審査を行ったり、資料収集の補助を行っただけではこれに当たらないというべきである。このことは、行政庁に処分について効果裁量が認められていない場合であっても、別異に解すべき理由はないから、右の場合には処分成立の要件となる諸事実を揃えること又は処分の成立を前提として関連する処分を促す措置をとることをもって処分の成立に実質的に関与したものと解すべきであるとの原告の主張は採用できない。

3  そこで、以上を前提として、原告主張の諸機関が行政事件訴訟法一二条三項所定の下級行政機関に該当するかについて順次検討する。

(一)  南社会保険事務所について

前記のとおり、原告は、南社会保険事務所の窓口担当者の指導のもとに障害基礎年金と厚生通老の併給状態を理由とする本件届書等を同事務所に提出したものであるが、法令上、併給停止届書は市町村長へ提出することとされているものであって、同事務所がこれを受け付けて金沢市長へ回付したことは、単に提出者の便宜を図るための措置として行ったものにすぎず、それ以上に、同事務所が、本件処分に実質的に関与することは法令上も認められていないところであり、実際にそのような関与を行ったと認めるに足る資料もない。なお、南社会保険事務所の窓口担当者が本件届書の提出等の指導を行ったとしても、それは本件処分そのものに関与したというのではなく、その前提となる原告の行為についてのものであり、これをもって右担当者が本件処分の成立につき、実質的な関与を行ったと認めることはできない。

(二)  金沢市長について

金沢市長は、南社会保険事務所から本件届書の進達を受け、これを石川県知事に進達したものであり、これらの行為は、準則二七条一項、三〇条に基づいて行った措置であると解される。

しかし、右二七条一項は、市町村長が、受付手続をとったうえで、届書等の記載及びその添付書類に不備がないかなど形式的事項を点検することを定めているものであって、それ以上に届書記載事項の調査等を予定した規定は設けられておらず、施行令二条六号にいう市町村長の「届書に係る事実についての審査」とは、提出された届書の必要事項の記載の有無や正確性及びその裏付けとなる書類等の有無の確認点検という形式的審査を意味するものと解するのが相当である。また、準則二六条は再度右形式的審査を行うことを、同二七条一項五号の返付処置は、形式的事項の補正や必要書類の添付をしたうえでの再提出を促す行為であるというべきあって、いずれも市町村長に本件処分の成立についての実質的に関与を認める規定とは解し難い。そして、実際にも、金沢市長が右法令上定められた審査以上に本件処分の成立に実質的な関与をしたことを窺わせる証拠はない。

(三)  石川県知事(北社会保険事務所)について

石川県知事が、金沢市長から進達された本件届書を北社会保険事務所を通じて被告に進達したことは前記のとおりであるが、同知事は、法令上、本件の併給停止届書について受理及びその届出に係る事実についての審査を行うべきものとはされておらず(施行令一条五号かっこ書)、実際上も、同知事が本件処分の成立について実質的な関与を行ったと認めるに足る証拠はない。原告は、本件処分は、北社会保険事務所までの段階で確定した判断が、事務処理の最終形式として被告の名でされたにすぎないと主張するが、これを認めるに足る資料はない。

(四)  なお、原告は、本件処分に密接に関連する多くの事務処理を実質的に行った機関が金沢市に所在することを斟酌すべきであると主張するが、本件処分と異なる処分についてのこれらの事情を本件取消訴訟の管轄の有無の判断において斟酌すべき根拠は見い出し難い。

4  右のとおり、原告主張の各機関はいずれも本件処分の成立について実質的に関与をしたものとは認められないから、本件訴訟の管轄が行政事件訴訟法一二条三項の規定により当裁判所にあるとの原告の主張は理由がない。

よって、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法三〇条一項の規定に基づき、本件訴訟を被告の所在地の裁判所である東京地方裁判所へ移送することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 市村陽典 裁判官 古川龍一 裁判官 伊藤知之)

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